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昭和30年代後半くらいから、会長は町の某ポンプ製造会社から独立して田中ポンプを立ち上げたんだよねー |
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そうそう、兄貴の家を四畳半ほどの作業場に改造して、なけなしのお金で中古の旋盤や工作機械を買って始めたんだよ。そのころは兄弟3人でダットラ(ダットサンのトラック)のベンチシートに3人チョコンと並んであちこちの現場へ朝から晩まで走り回ったなぁ。 |
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最初はお客様も少なく大変だったらしいねー。 |
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そりゃー始めたころは大変だったけど、この仕事が僕は本当に好きなんだろうねー、無我夢中でお客様の機械を直させてもらってただけだったんだけど「そこまでしてもらえるなんてかえって申し訳ない」とか言ってもらって気がついたら1つ2つとお得意様が増えていったなぁ。今思えばお世話になった旅館やホテルのご主人が「この人に任せておいたらどんなものでも直る」といって宣伝して頂いたお陰やね。 |
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兄弟3人体制から2人になった頃に僕がポンプメーカーの丁稚奉公から戻ってまた3人になったね。
僕が入った時はどんな思いがありました? |
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そうやねー、正直不安は大きかったけど嬉しかったなー。この技術を後に引き継がないともったいないという声をあちこちでもらっていたからね。息子がどんなやり方にせよ、同じ仕事を選んで一緒にやろうというのは頼もしかったし、これからどんな風になっていくのか楽しみやった。 |
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僕自身も大手のポンプメーカーで修行させてもらって色んな技術やノウハウを学んだし、多くの素晴らしい技術者とも一緒に仕事もしてきたけど、ここに入って思ったことは「やっぱり親父の技術に敵うものはないな」ということやったわ。毎日毎日「ホーッ、ホーッ」って呆れるほど感心してたし、そんな技術力を身近で体験できることが凄いと思ったな。 |
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そういえば、お前「えぇー、そんなんするの?」とか「えぇの、それで?」みたいなことをよう言うてたな(笑)学んできたやり方と違うとこも沢山あったみたいで……。なんでもそうやけどウチらみたいな修理技術の仕事は理屈やないからなぁ。なんやかんや言うても直さなあかん。決まったやり方なんかあらへん。この方法しか直らへんとなったら必死でやるしかないんよ。誰も助けてくれへんしな。 |
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